今日内容は、エスセラピストになったばかりの方にとっては、ちょっと分かりにくいかもしれません。
エステティシャンやセラピストになって5年、10年経った方なら分かる!分かる!と思っていただけるかなと思います。
少し難しい表現もありますが、早めに知っているとこの仕事がもっと楽しくなる、そんなことを話していきます。
自分のマッサージはなぜ自分でできないのか
突然ですが、
「自分のマッサージを自分で受けられたらいいのにな〜」と思ったことはありませんか?
自分の手はどんな感触で、あたたかさ何だろう
強さはどんな風に感じるんだろう、自分の想像通りにできているかな
などなど、考えたことはありませんか?
例えば、歌手だったら録音した自分の声を聴くことができます。
俳優だったら演技を観ることができます。
画家だったら見ながら描きます。
なぜかエステは、歌手や俳優、画家のように自分で聴いたり、観たり、描いたりできないのです。
自分のマッサージを自分で受けることは、現在の技術ではできないのです。
とても不思議なことだと思いませんか?
「でも、自分で足とか腕、頭をマッサージできるんじゃない?」
と思うかもしれませんが、
自分でマッサージするとマッサージをしている自分とされている自分の2つの体感が混ざってしまい、されている側だけを体感することはできません。
どう頑張ってもできないのです。
これって、とても不思議だな、と思うわけです。
自分のマッサージを自分で受けられないのは理由がある
多少無理矢理かもしれませんが、
必要なものがあり、必要でないものはないと考えると、自分のマッサージを自分で受けられないのは理由があるのです。
補足すると、
手順を覚えたり、技術のレベルアップのために擬似的に体感することは必要です。
自主練の際には、自分の体を使うことも技術の向上に繋がります。
このエステブログでは、
エステセラピーの楽しさを発見するために別の視点から考えていきます。
最新の美容マシーン・美容成分、医療美容とエステセラピーの違いの答えが見つかるかもしれません。
そして、あなたが忘れていたことがそこにはあると私は確信しています。
自分以外の人がマッサージをする目的
話を元に戻すと、
自分のマッサージを自分で受けられないのは理由があります。
別の言い方をすると、
エステセラピーには、美容や癒しなど色んな目的がありあますが自分以外の人がマッサージをする目的があるとも言えます。
では、自分以外の人がマッサージをする目的とは何でしょうか。
結論から言うと、
「私(自分)を知るため」なのです。
普段、私(自分)のことをあまり意識しないと思います。
何か考えること、感じることはあっても、それを『私(自分)』がしているとは意識しません。
電車に乗っているとしたら、吊り革に掴まっている手を意識してみてください。
または、座席の座っているお尻を意識してみてください。
電車に乗っていなかったら、あなたが今の状況で、手、背中、お尻、脚、足裏を意識し、その感覚を感じてみてください。
今いる状況が変わって感じられるようになりませんか?
意識するとあなた外側の世界が少し広がることが分かります。
同時にあなたの内側の世界も広がります。
全ては無意識の中で、時間が流れていきます。
エステセラピーは、この内側の世界を広げることができると私は思っています。
エステセラピストがお客様に触れることで、お客様は
「肩が凝っていたと思っていたけど、意外に首も痛気持ちいいな」とか、
自分以外の人に触れられるからこそ感じられることがあるのです。
その瞬間お客様はどんなに仕事に忙殺されても、人間関係にストレスを感じていても、そこから離れて今の自分に没頭できるのです。ぐわ〜と内側に入っていく感じです。
その結果、コアな自分に繋がり、自分が本当に望んでいたことに気づけたり、新たなアイデアを閃いたり、心が穏やかになったりするわけです。
その環境をつくることがエステセラピストの役割の一つだと思っています。
他人を幸せにする究極の仕事
私は20代の頃、「自分のマッサージが体感できたらいいのに。何で、エステは自分で体感できないの?」と、もどかしく思ったものです。
美味しい料理を作ったら、自分も美味しいし、それを食べてくれる人も美味しいと感じる。
掃除をしたら、周りの人も喜ぶし、自分も綺麗になって嬉しいと感じる。
何で、エステはそう言えないんだろう。
もちろん、お客様が喜んでくれたら嬉しいけど、物理的に同じものを共有できない。
擬似的、間接的にしか共有できない。
自分以外の人しか幸せにできない、それって人を幸せにする究極の仕事だ、思ったわけです。
(言葉で表現することが難しいですが、お伝えしたいことが伝わることを祈りこの表現で書きます)
自分を幸せにする方法はたくさんありますが、他人しか幸せにできない方法はなかなかありません。
そこに究極の癒しを感じるし、大きな役割を感じ、心の底が震えます。
最終的には、それが自分の究極の幸せに繋がるのですが、それはまた別のブログで書こうと思います。